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真の「男女平等社会」の実現のために / 形式的に世界と比べるのではなく、個別具体的に考えるべきこと

女性

「政府は第五次男女共同参画基本計画で、指導的地位に占める女性割合を3割に引き上げる目標達成時期を先送りしましたが、どう思われますか」

「マスコミの論調を見ると批判的ですが、日本はもともと欧米とは出発点が違うので、そこを抜きにして無理な数値目標を提示してしまったと思っています」

女性

「『出発点が違う』というのは、どういうことですか?」

「そもそも男女の役割の捉え方が農耕民族と狩猟民族とでは違います。武士道という言葉があるように、武家社会の考え方が日本社会に大きく影響を与えています。主人を支える妻というのが伝統的にありますので、急に平等は無理だと思います」

女性

「そう言われて思い出したのですが、昨日のNHK大河ドラマ『麒麟が来る』の中で、光秀の妻の熙子(ひろこ)の献身振りが描かれていましたが、凄まじいですね」

「私も見ましたが、殆ど自分のことを捨てて光秀に尽くすのですね。あれが武家社会の一つの「標準」と考えれば、そこから「対等」「平等」まで戻すのは大変だと思います」

女性

「当時は「家」第一主義なので正室,側室がいて、殆ど女性はお世継ぎを生む「道具」扱いの時代だったのですね」

「象徴的なシーンがありましたよね。家康の正室が子供を産むのですが、それが女だったということを聞いて、家康の母が「役に立たない嫁だこと」というセリフを言う場面があります」

女性

「庶民は、そうではないでしょ」

「社会というのは、必ず上の考え方に影響を受けますので、大いに関係があるという視点で見て下さい」

女性

「そう言われれば、ウチの父は結構亭主関白だったと思います」

「個々のケースは、いろいろあると思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 男女平等を、形式的に海外と比べること自体が無益

世界には190位の国があり、それぞれ歴史も文化も違います。国際連合という組織がある以上、全く独自な行動をとる訳にはいかないと思いますが、すべてを国際的な流れに合わせれば良いという考えには反対です。

そもそも民族の歴史があると思います。日本は世界では少ない農耕民族の国です。西欧諸国は狩猟民族の国です。その違いの大きさに言及する人が少ないのですが、極めて重要な違いがそこにはあります。

ここからはイマジネーションの力を使ってほしいのですが、農耕民族は目の前の耕作地をいかに守るかということからすべてを発想します。領地安堵がなされれば、一家は生活できるからです。その次に考えることは、家族を養い、その土地を耕す者をどのように育てるかということです。土地を守るために家を建て、その家を誰が守るか。そして、誰が外で働き、子育ては誰がするのか、そういった役割分担論の果ての男女分業が日本において行われただけです。それを「西洋の狩猟民族的視点」から「差別」と言っているだけの話なのです

狩猟民族は、広大な大地からいかにして食糧である獲物をとるかという発想に立ちます。女性でも男以上の運動能力をもつ者もいます。であれば、その能力を部族のために発揮して欲しいと誰もが願うでしょう。「ジャンヌ・ダルク」はいつの時代も待ち望まれていたのです。そういう社会であれば、男女平等の観念はすんなり入りやすいでしょう。

 

 日本的な男女役割論の考え方を発信していくべき

男女平等というのは、一つの価値観に過ぎません。つまり、今のように形式的平等に基づく価値観を絶対的な正義であるという前提の考え方に過ぎません。いろんな考え方があって良いのです。日本は、臆することなく日本的な価値観に基づく男女平等の考え方を発信すべきだと思っています。

昨日の「麒麟が来る」の中で光秀の妻の熙子(ひろこ)は夫より先に死んでしまいます。光秀に尽くし切った生涯だったと思います。彼女の法要に光秀も立ち会ったそうです。当時は武家の主が妻の葬儀に立ち会うことは珍しかったと言われています。光秀は妻熙子のために菩提寺まで建立していますので、彼女の光秀を支えようという気持ちは並々ならぬものがあったのでしょう。

ただ、そういった生き方をどう見るかということです西欧の女性の生き方と比べて、単純に差別的な人生であったとは言えないと思います。ドラマの中では「夢のようでした」という言葉を光秀に言っています。それはあくまでもドラマの中のセリフかもしれませんが、女性としての役目を果たし、多分熙子は幸せな気持ちのまま、あの世に旅立ったと思っています。

 マスコミの無知をさらした記事――「女性差別自覚なき日本」(『毎日』2020.3.8日付)

社会的な事象は、すべて見方、考え方が大事です。社会関係については特に、マスコミの言っていることを鵜呑みにしないことです。

3月8日というのは、国連が定めた国際女性デーです。それに合わせて国際機関がジェンダーギャップを発表するのですが、こういうものに日本のマスコミは飛びつく傾向があります。多分、今年も飛びつくと思います。予習を兼ねてその主張を見てみましょう。

スイスのシンクタンクが策定したジェンダーギャップ(男女格差)指数というのがあります日本は153位中、121位だそうですが、まずは出発点が違うので、順位自体を問題にしても意味がありません。「家内」という言葉が現在でも使われていますし、役割分担論というのは女性差別ではありません。

「指導的地位に占める女性の割合」の政府目標を3割にしたとか言って、2020年に達しなかったのはけしからんというのが『毎日』の主な主張です。そういうものは、選挙公約でもあるまいし、数値目標を出すものではありません。出す方も出す方ですが、それを元にして記事を書く方も書く方です。

 目標に対してどうなのかではなく、現実に起こっている問題点を見ることが重要です一番の問題は、男女の賃金格差ですOECDの調査によりますと、日本において男性と女性の賃金格差は24.5%とのことです。同一労働同一賃金なので、性差による賃金差別は法的にも許されません。

そういった差別的待遇は、研究者の間でも起きているとのことです。実際に、データを見ると女性の就業率に対して、研究者の割合が少ないのですが、もともと出産して研究に戻れる体制が充分でないとのことです(『日経』2020.12.28日付)。「アメリカの地球物理学連合(AGU)が2012~15年に学術誌に掲載された論文の筆頭著者の男女差を調べたところ、男性の掲載率は57%に対し女性は61%だった女性が加わり視野が広がったとみられる。世界は優秀な女性研究者の獲得を急ぐ」(「追い込まれる女性研究者」『日経』2020.12.28日付)とあります。

日本人ノーベル賞は多くいますが、女性は一人もいません。才能溢れる女性が活躍できる日本社会をどうやって構築するか、システムやカリキュラムなど、体系立って考える必要があります。そういうものを構築すれば数字は自ずからついてくるものです。あらかじめ数字を出せば良いというものではありません。

 IT社会が進展する中で男女平等も進む

日本の場合は、男女平等が憲法で定められてから、まだ75年です戦前においては選挙権すらありませんでした。それにプラスして、伝統的な家制度の考え方があります。歴史的に長い期間をかけてつくられた制度ないしは人々の意識というのは、一朝一夕で簡単に変わるものではありません。

それよりも社会の流れの中で、能力溢れる女性を重用する制度を作っていく、意識を変えさせる努力をしていく、そういった地道な努力の積み重ねが必要だと思います。

そういった点では、コロナ禍が一つのきっかけとなるのではないかと思っています。今回のコロナ禍が、日本企業のデジタルトランスフォーメーション(DX)の遅れを浮かび上がらせ、政府もデジタル庁を創設することとなりました。IT人材は、質、量ともに不足しているとのこと。優秀な人財であれば、性別は問わないとのことです。実際にIT業界に転身する女性は増えているとのことです

理系に苦手意識がある方にとっても、情報分野は比較的転身のハードルは低いそうなので、是非女性の方の積極的チャレンジを待っていますというのは、関係者の声です。もちろん、政府の「掛け声」も大事かもしれませんが、女性一人ひとりのチャレンジ的な動き、それに周りが協力し、社会が呼応していく中で男女平等社会が作られていくのだと思います

読んでいただき、ありがとうございました。

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