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女性活躍社会を展望して(4) ―― イスラエルの女性は、子供を産みながら社会で活躍する戦士という位置付け /イスラエルに学ぶ

「日本人は、いつも思想は外からくるものだと思っている。これは司馬遼太郎さんが「この国のかたち」という本の中で紹介していた言葉です。含蓄のある言葉でしょ」

女性

「誰の言葉ですか?」

「私が尊敬する友人がどこかに書いていたとしか書かれていないので、分からないんですよ」

女性

「外国コンプレックスは昔からあったということですかね」

「確かに歴史を辿ると、古代から現代に至るまで仏教、儒教、キリスト教を始め様々な文化が大陸から列島に伝わりましたからね」

女性

「私は持ちつ持たれつだと思いますけどね」

「いや量的にも質的にも流入が圧倒的に多いはずです。そもそも、ユーラシア大陸の様々な文化芸術が中国大陸から流れ込んできています。劣等感を抱いたのかもしれません」

女性

「よく日本人は変わり身が早いと言いますよね。その辺りと関係があるのでしょうか?」

「変わり身が早いということは、1つは、時流に乗ろうとする傾向が強いということ。2つ目は、自分に絶対的な自信がないということです。終戦後の「ギブミー・チョコレート」が良い例ですよね」

女性

「「ギブミー・チョコレート」って、何ですか?」

「敗戦後に日本の子供たちが米兵に言った言葉ですが、戦前は「鬼畜米英」で育った子たちですよね」

女性

「それを忘れて、チョコレート頂戴って言ったということですか」

「ただ、子供だけでなく大人もすぐにアメリカン民主主義を受け入れましたからね」

女性

「そういうのが得意なんですね。明治維新の時も、そうでしょ。俳句が遺っていますよね」

「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする、ですよね。明治維新の時も、早かったと思います。外国人がその20年間の日本を見ていたら、この国の人たちはどういう人たちなのかと驚くと思います」

女性

「その位の激しい西洋化への変化があったということですね。」

「西洋のものを吟味しないで無批判に何でもというのが、日本人の悪いところだと思っています」

女性

「ここからが本論です ↓」

 

 「女性活躍」については数字を追うべきではない

女性活躍という、この分かったような分からないようなスローガンを日本が無批判に受け入れたものの1つです。このことに対して批判的な視点をもっているマスコミは皆無ではないかと思います。女性活躍、当たり前みたいな社会の雰囲気になっています。

女性活躍は一つの歴史の流れ、社会の流れ程度に押さえておけば良いものを、政府が数字目標を掲げます。数字を掲げる時は、原則的に、それに比例して状況が改善する蓋然性が高い場合だけです。例えば、労働生産性の数字、外国人観光客の人数などです。

ところが、日本政府は第5次男女共同参画基本計画で、指導的地位に占める女性割合を2020年までに3割に設定していたのです。結果はどうだったのか。目標を掲げれば、それに向かって現実が動く訳ではありません。目標の半分程度で終わってしまいました。そこで、数字を追い求める意味の虚しさに気が付けば良いのですが、目標の3割をそのままにして、達成時期を「2020年代の可能な限り早期」にしたのです。

日本の女性管理職比率は、確かに欧米の先進諸国と比べてかなり低いです。これは、前にも言いましたように、日本の歴史と文化が欧米のそれとは違うからです。数字が低いのは、それなりの理由があるのです。

ただ、その数字を上げたからといって経済が成長する訳ではありません。例えば、会社の役員の半分を女性にすれば、その会社は男女平等が実現し、企業収益が上がるかと言われれば、NOと言わざるを得ません。そういう必然性のない数字を国を挙げて追い求めている姿は滑稽です。

(「会津若松プラス」)

 日本は「二兎追うもの一兎も得ず」となる

日本では、少子化対策という最重要課題があります。それへの取り組みが中途半端な状況で、女性活躍社会という女性に対してある意味別方向からの働きかけをしています。昔から、「二兎追うもの一兎も得ず」ということが言われています。このままでは、両方とも中途半端になるでしょう。

何故なら、そういう歴史も文化ないからです。民族には、それぞれに長年の暮らしによって個々人の身体に刻み込まれたDNAがあります。日本の風土と環境の中、どのような生活をしてきたのかということが、子々孫々の代を経て受け継がれています。

女性活躍と少子化対策を両立させている国として、イスラエルがありますイスラエル人女性は平均して2.9人(2020年統計)の子供がおり、これはOECD加盟国の平均値の約2倍です。イスラエルの労働市場における女性の比率はおよそ50%で、まさに男女対等社会です。

イスラエルの女性の教育水準も当然高く、80%以上が12年間の義務教育を受け(イスラエルでは高校までが義務教育)、40%が高等教育機関(大学や研究機関)の学位を授与されます。ただ、その辺りの数字は、日本の女性の方が上を行っています。高等学校進学率約96%、そのうちの約半数が大学に進学しています。短大を合わせると約57%となります。

(「朝日新聞デジタル』)

 イスラエルの女性は、子供を産みながら社会で活躍する戦士という位置付け

イスラエルの女性は平均して2.9人の子供がいて、この数字はOECD加盟国の平均値の約2倍です。女性活躍と少子化の課題の両方をクリアしています。どこに秘密があるのか、ということです。

まず、第一に、女性は子供を産み、社会で活躍するものという認識がイスラエル社会には定着をしています。まさに、歴史と伝統のなせる業です。子供を産み終わっての育休休暇として保障されているのは15週間です。30週まで延長は可能とのことですが、多くの女性は15週間で職場復帰するとのことです。では、子供を誰が育てるのか。社会が育てるという捉え方です

生まれた子供に対しては幼児教育プログラムで面倒を見てもらうということです。0歳から2歳までは幼児教育プログラムによって個人的に見てもらい、3歳からは政府の幼児教育が保障されているので、そちらに預けるそうです。

つまり、簡単に言うと、子育ては社会全体で行ってもらうという考えです。女性の役割と捉え方、社会との役割分担がはっきりしています。基本的な考え方がしっかりしていますので、二兎を追うことができるのです。

日本の場合は、どれもが中途半端になっています。待機児童については完全に解決していませんし、預けるにしてもいろいろ制約があります。子育て環境さえ整備されておらず、女性の位置づけも中途半端なまま、数字だけを追いかけているというのが実際の姿です。


(「アマゾン」)

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