ようこそ日本の危機へ!このブログでは主に最新のニュース、政治、教育問題を取り上げております。
CATEGORY

最新のニュース

  • 2025年7月22日

「偏差値エリート」が壊した国・日本  ── 模範解答では国を導けない時代に / 「偏差値エリート」をエリートと錯覚

「変化の激しい時代です」 「参議院議員選挙が終わりましたが、自民党は惨敗でしたね」 「自民党が主導する官僚政治の終焉に繋がれば良いと思っています」 「参政党と国民民主の飛躍が目立ちますが、票を入れた方は党首の顔を見て入れたような気がします」 「そうい […]

  • 2025年7月19日
  • 2025年7月19日

日本を衰退させた財務省の問題点(2) ── なぜ官僚制度は批判されないのか / 報道機関と省庁の共犯構造 

「日本の国を支配しているのが特権意識を持ったキャリア官僚であることが、何となく分かり始めたところではないでしょうか」 「前回、他国の官僚制との比較をしていましたが、日本の官僚制は特異なんですね」 「人事採用権が各省庁にあるという国は日本だけです。そし […]

  • 2025年7月17日

日本を衰退させた財務省の問題点(1) ―― 国益より省益を優先する体質の起源 / なぜ日本だけが「省庁内キャリア制」なのか

男「今日の『産経新聞』で『財務省と日銀 日本を衰退させたカルトの正体』(ビジネス社)という本の広告が出ていましたが、今話題の書です」 「「財政危機という真っ赤なウソ」とか「消費税は二重課税」という見出しを見ると、結構刺激的な内容かなと思ってしまいます […]

  • 2025年7月12日

日本の外国人政策の現実と課題 ―― 理念と現実のはざまで / 実質的な移民政策への備え

「参議院選挙の広報を見ましたが、本当にいろんな政党や団体があるのですね」 「ここに来て、急に増えましたね。議席を持っていない政党を入れれば20くらいあると思います」 「これは、どうしてですか?」 「中央集権国家で、民主主義のシステムを導入すると意見が […]

  • 2025年7月10日

財務省という巨大装置 ── 霞が関に巣食う権力の実像 /「失われた30年」を招いたキャリア官僚制度の問題点

「この間、このブログの訪問者が増えましたので、改めて配信日をお伝えします。火、木、土の週3回配信です。よろしくお願いいたします」 「今日は「失われた30年」を引き起こしてしまった日本の官僚制度そのものの問題点について話をしたいと思います」 「ところで […]

  • 2025年7月8日

「失われた30年」(その4) ―― 消費税と立法制度の歪み / 財務省主導体制がもたらした災厄の30年

「今日もバブル経済の話題ですか?」 「官民揃っての隠蔽工作がなされていますので、白日の下に晒した方が良いと思います」 「新聞やテレビ、マスコミは一切報じませんからね」 「そういう意味では、見事だと思います。中国のことを共産党独裁国家と言って批判します […]

  • 2025年7月3日
  • 2025年7月3日

「失われた30年」(その2) ―― 財務省の誤算が招いた停滞の30年 / 強すぎた火消しがもたらした長期停滞

「今まで私はバブルは自然にはじけたと思っていたのですが、そうではなくて『はじけさせてしまった』というのが正解なんですね」 「良い所に気付きましたね。それを伝えるために、前回の記事を書いたのです」 「ただ、誰もが自然に弾けてしまったと思っていますよね」 […]

  • 2025年6月26日

財務省の闇と森友問題 ── 隠された構造と操作 / 「官僚国家・日本」の構造的リスクを読み解く

「昨日(6/25)、森友学園問題について、NHKクローズアップ現代で取り上げていました」 「その番組を私は見ませんでしたが、まだ、その問題が続いているのですか?」 「というか、財務省が公開すべき文書を出し渋っているのです。今回、9千ページの文書が公開 […]

  • 2025年6月24日
  • 2025年6月24日

イランとイスラエルが停戦に合意か ―― 対立の根源と中東の静かな変化 / 宗教・歴史・戦略が交錯する中での核をめぐる争い

「トランプ大統領がSNSにイスラエルとイランが停戦合意したと発表しました」 「えっ、そうなんですか?」 「まだ、イスラエルとイランの双方から正式発表はないのですが、今日(6/24)の朝一番のニュースで言っていました」 「イランはアメリカに報復すると言 […]

  • 2025年6月21日
  • 2025年6月21日

韓国新大統領の登場と歴史の再接続 ―― 経済・外交・民間交流から探る新たな友好の可能性

「日本と韓国が国交正常化に向けた条約を調印してから今年が60年目の節目にあたります」 「ということは、1965年に条約が結ばれたのですね。私は生まれていないので知りませんが、結構大変な条約交渉だったと聞きました」 「第一回の会談は1952年の2月です […]